ふと、本を整理しておりまして…何冊もある中の宮沢賢治詩集を手にし、…何度も何度も目にしたにもかかわらず「雨ニモマケズ」を再度目にすると…自己犠牲の精神に満ちあふれており、古き良き日本人の精神が其処には存在し、なんと凄い詩だと改めて驚嘆する。…四合などとは凄い量で、wikiによると戦前までの日本の労働者はわずかな副食物で大量の米飯を摂取する食習慣があったそうで(つまりオカズなどはわずかであったらしく…)…成る程と一人頷く。…
wikiの「雨ニモマケズ」玄米四合より…
米飯が少なくなってきた現代日本人にとって四合は多すぎると思われることが多い。しかし、戦前までの日本の労働者はわずかな副食物で大量の米飯を摂取する食習慣であった。一例として、1873年の徴兵令では「白米六合」を食わせることになっていて(脚気の大量発生から改められた)、当時の日本陸軍の食事規定では一回の食事につき主食として3食とも麦飯2合、副食として朝食は汁物(味噌汁・澄まし汁など)と漬物、昼食および夕食は肉や魚を含んだ少量のおかず一品(献立例をあげると、「アジフライ一枚に塩ゆでキャベツ」)と漬物である。
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ※(「「蔭」の「陰のつくり」に代えて「人がしら/髟のへん」、)ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩