本日のこれ読みたいは…「ジョン・レノンは、なぜ神を信じなかったのか ロックとキリスト教」。2018年2月10日発売です。
そりゃね、GODのlyricsに、
God is a concept
By which we measure
Our pain
I'll say it again
God is a concept
By which we measure
Our pain
と
I don't believe in Bible
I don't believe in Jesus
もう一度云ってやるとなり、
「神とは概念なんだ、痛みを測ることができる」
「私は聖書を信じない」「私はジーザスも信じない」
でありますので、BEATLES解散直後の
「ジョンの魂」だけ見れば、
神を信じなかった人にも見えますが、
最期の「Grow Old With Me」では、
God bless our love
God bless our love
私達の愛に神の祝福を
私達の愛に神の祝福を
と何度も出てきますので、
満更40才前のJohnは、神の存在に否定的ではなかったのでは???
と私の中では思っているワケです。
この手の分析は、経験上、大変恐れ多い分析となりますので、
これはあくまでも私の私見というコトで、お許し下さい。
以下は詳細説明です。
内容紹介
エルヴィス、ボブ・ディラン、ビートルズ……
信仰は、あの名曲に何をもたらしたか。
「ロック」と聞けば、それがジャンルとして確立されてきた当時から「若者たちの音楽であり、反体制的で権力に反抗するもの」だというイメージが強かった。
そうした権力のなかには、西欧社会で力をふるってきたキリスト教も含まれる。そのため、キリスト教文化になじみのない日本人からすればキリスト教的精神とロックは相いれないものだと考えるだろう。
しかし、エルヴィス・プレスリーやボブ・ディランをはじめ、アメリカにおける多くのロックミュージシャンが、自らの楽曲のなかで「神」「イエス・キリスト」「マリア」を讃えていたり、あるいは祈りを捧げたりしている。
むしろその西欧社会におけるキリスト教とロックのかかわりを紐解くと、キリスト教がなければ、ロックは生まれてこなかったのではないかという見方さえもできる。
信仰を持つことによって、あるいは信仰を否定することによって、彼らの音楽はどう変化し、それはロックというジャンル全体にどう影響していったのか。宗教学者がその関係をひもとく。
■信仰深いエルヴィスが本当に歌いたかったもの
■現代の「ヨブ記」だった「ユー・ゲイブ・ミー・ア・マウンテン」
■「歌うこと」で身近になる神
■「僕らはいまやイエスよりも人気がある」
■「イマジン」の根底に潜む宗教への思い
■クラプトンの回心体験
【目次】
第一章 エルヴィス・プレスリーは、なぜゴスペルを歌ったのか
第二章 ロックはゴスペルからはじまった
第三章 ボブ・ディランは、なぜキリスト教に改宗したのか
第四章 ジョン・レノンは、なぜ神を信じなかったのか
第五章 ロックがキリスト化する必然性
著者について
島田裕巳(しまだ・ひろみ)
1953年、東京生まれ。宗教学者、文筆家。1976年、東京大学文学部宗教学科卒業。1984年、同大学大学院人文科学研究科博士課程修了。専攻は宗教学。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員を歴任。現在は東京女子大学非常勤講師。主な著書に『創価学会』(新潮新書)、『日本の10大新宗教』、『葬式は、要らない』、『もう親を捨てるしかない』(幻冬舎新書)、『戦後日本の宗教史』(筑摩選書)、『宗教消滅』(SB新書)、『反知性主義と新宗教』(イースト・プレス)など多数。
ジョン・レノンは、なぜ神を信じなかったのか ロックとキリスト教 (イースト新書)
- 作者: 島田裕巳
- 出版社/メーカー: イースト・プレス
- 発売日: 2018/02/10
- メディア: 新書
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