八尾市本買取(全国対応)BooksChannel本屋物語

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#早稲田大学 を設立した#大隈重信 の「#我輩の智識吸収法 」など新着本が12作品【#青空文庫 の新着情報】 篇 #田山花袋 #大隈重信 #折口信夫 #高村光太郎 #三好達治 #村越三千男 #山本周五郎

以前も明記させて頂きましたが、本屋さんなのに、青空文庫紹介するのってどうよ…って思われるかも?しれませんが、私は、作品に触れる際、LIVE感のある見開きまで考えられた構成・版数・FONT・栞紐・しおり等 わび・さび(侘・寂)を含む、紙の媒体とは全く別のものであると思っておりますもので、それはそれ、これはこれで…

で、「本を読もう今すぐに」と唄っている私にとって、福澤諭吉に「生意気な政治家」(福澤諭吉も相当曲者ですが…)と云われ…剛情張りで、人の話などは聴かない、大隈重信の「#我輩の智識吸収法 」の読書についての部分はたまらないもので、…以下に

そしてその下に窓の杜の記事をShareさせて頂きます。

 

勿論暇さえあれば我輩は書物を読む

それなら書物は読んでおるかと、勿論《もちろん》暇さえあれば書物を読む。暇さえあればその間酒でも飲んで騒ぐというようなことはしない。それよりか読書をする。また我輩は園芸に趣味をもっているから、暇があればまず庭園を歩き廻って見る。而《しか》してなお暇が得らるれば、今度は読書をするという風にしている。実は智識をうまく活用して行くのである。  一体我輩のところへはあまり怜悧なものは来ぬ。それだから我輩が独りで話してやるのだ。こういう風であるからなんで人から智識などが得られるものか。よしまた如何《いか》に怜悧なものが来ても、我輩が耳を傾けぬから駄目である。人の話は注意して聴いたらよい。学問にもなるだろうが、我輩の如き短気な剛情者には耳学問は誠に不適当である。次に書物は読むべきものであることについて一言しておこう。

社会と遠ざからぬ様に読書が必要である

 時代の進運というものは冷酷極まるもので、自分と一緒に駈けるだけの力のないものをば容赦もなく振棄《ふりす》ててずんずん変転してゆく。見給《みたま》え、一時は相当の声望信用あって世上に持囃《もてはや》された連中でもいつとはなく社会と遠ざかり、全然時勢後れの骨董物となりさがりて、辛《から》くも過去の惰力によりて旧位置を維持している者や、その惰力さえ尽き果てて、生きながら社会より埋葬せらるる如き悲境に沈淪《ちんりん》するものの多いのは、畢竟《ひっきょう》この時代の進運に伴うべき気力と智識とが欠乏しているからである。  されば苟《いやしく》も社会の表面に立ちて活動せんと欲するものは、政治家であれ、実業家であれ、教育家であれ、絶えず時代の趨勢《すうせい》に着目して、その消長変遷に応ずるだけの新智識を収容するに努めねばならぬ。それは勿論読書が必要である。  しかしなにほど読書が必要だからといっても、実際社会に活動するものは繁劇多忙なる中に零細《れいさい》の余暇を尋ね出してやるのであるから、日夕書斎に閉じ籠《こも》って、書籍と首っ引きをする専門学究の真似《まね》をする訳には行かぬ。彼は実際の必要不必要に頓着《とんちゃく》なく、純然たる研究的態度を以て隅から隅まで穿鑿《せんさく》するけれども、これは実際の必要を限度として大体の智識を得るに満足せねばならず、彼は何処《どこ》までも書籍を重位に置き、書籍の上に養われた眼目を以て社会を眺め渡さんとするけれども、これは事実を本位に置き、事実によって教えられた経験の眼を以て書籍を看下《みくだ》さんとする双方のやり方が根本よりして違っておるのである。

現代の青年にはこの悪い習慣がある

 厳格なる意味に於ていえば、この事実本位の読書法は無論《むろん》変則的であるかは知らぬけれども、実際の活智識を収容する上に於ては書籍本位のそれよりも有効である。  我輩等の育った旧幕時代には、各藩とも御儒者《おんじゅしゃ》というものがあって、読書講釈を専業とし、口癖のように修斎平治《しゅうさいへいち》を説いていたけれども、その言うところはただ書物の上の穿鑿《せんさく》にとどまり、毫《ごう》も実際に接触しなかったので何の役にも立たず、儒者といえば呆痴者《あほう》の異名の如く思わせたものだが、今日の新学問は無論昔の儒学などと同日に論ずべきものでないとしても、学究先生が書籍本位の読書法は、ややもすると実際にかけ離れて、空疎迂遠の弊《へい》に流れる傾きがある。  其処《そこ》になると実際的活動家が社会の事実によりて得たる経験と修練とを基礎とし、その力によりて読書するのは直《ただ》ちに事実と思想、経験と理論とを連結せしめて活溌溌地《かっぱつはっち》の作用をなすことが出来る。ただこの種の人が読書せざるを病とする。  一体我が国の青年には、至って悪い習慣がある。彼等は学校にいる間は随分勉強もすれば読書もするが、足一|度《たび》学校を去りて実際社会に出ると、書籍などは一切束ねてしまって振り向いて見ず、その癖不健全なる娯楽には随分|憂身《うきみ》を窶《やつ》して、これがために身心の打ち壊れるを知らず、とかくする中《うち》、社会の進運に振捨てられて無用の長物となってしまうが、いずれもそれほど六ヶ敷《むつかし》いことではない。新刊書なり新聞雑誌なり、時代の趨勢《すうせい》を知るものを備えて、業務の暇に新智識の吸収に努めたならどんなものであろうか。我輩は年老いたりといえども、まだまだ今の若いものなどに後れを取らぬつもりである。

 

forest.watch.impress.co.jp

大隈重信演説談話集 (岩波文庫)

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