母親を病院へ送迎する際、帰りにスーパーへ寄って欲しいと頼まれ…そのまま買物へ行く。母親は自分の思いのまま買物をして、私はギッチリ書き込まれたメモを渡され、その通りの商品を探し、カートへ入れる。これがスーパーの何処に何が配置されているのか?全くワカラナイので弱る。途中6人の店員の方に各コーナーを案内して貰い商品を探すも結構な労力を要す。全て買い終わった後、母親に感謝されるも…主婦の方の偉大さに改めて気づく。
以下の記事を読み、久保田早紀さんのジャケットを思い出す。みんな歳をとる。
次の書評が印象に残る。日常では礼儀正しく、おとなしく、他人を攻撃せず、空気を読める人が愛され、忖度もお客様にバランス良くできる人間がサービス業などでは評価されると思います。…政治になるからややこしい。35歳の芥川龍之介が書いた「侏儒の言葉」を思い出す。…記事の下に明記致します。
>有権者が無知で無関心でいる限り、悪政は続く。礼儀正しく、おとなしく、他人を攻撃せず、空気を読む。そんな人々の沈黙の同意によって、不正が見逃される。
>有権者が無知で無関心でいる限り、悪政は続く。礼儀正しく、おとなしく、他人を攻撃せず、空気を読む。そんな人々の沈黙の同意によって、不正が見逃される。
「侏儒の言葉」より…まずは、政治的天才…
古来政治的天才とは民衆の意志を彼自身の意志とするもののように思われていた。 が、これは正反対であろう。寧(むし)ろ政治的天才とは彼自身の意志を民衆の意志とするもののことを云うのである。 少くとも民衆の意志であるかのように信ぜしめるものを云うのである。この故に政治的天才は俳優的天才を伴うらしい。 ナポレオンは「荘厳と滑稽との差は僅(わず)かに一歩である」と云った。 この言葉は帝王の言葉と云うよりも名優の言葉にふさわしそうである。
「侏儒の言葉」より……人生
革命に革命を重ねたとしても、我我人間の生活は「選ばれたる少数」を除きさえすれば、 いつも暗澹(あんたん)としている筈(はず)である。しかも「選ばれたる少数」とは「阿呆と悪党と」の異名に過ぎない。
[SD]