喧嘩も物語のようなものでできている。…柳家小さん+立川談志 編
人類始まって以来、戦争はつきものでありまして、…21世紀になってこれほどまでにあらゆる知識・哲学が存在していても、無くならないのが戦争です。人類は戦争の歴史と云っても過言ではないのかもしれません???で国をあげての戦争から個人的な喧嘩まで、世の中は、紛争であふれているワケですが、ご覧の皆様におかれましても、「あいつだけは許せねぇ…一生許さねぇ???…もう二度と会わねぇ…」という方のお一人やお二人はいらっしゃるのではなかろか???と思うのですが、今日の「喧嘩」は「柳家小さん vs 立川談志」の師弟紛争についてであります。
wikiより抜粋させて頂きます。
5代目小さんとの関係
師匠5代目柳家小さんとは口論になることが多かったが、基本的に関係は悪くなかった。真打昇進試験に弟子が合格できず、その当時会長であった小さんとは方針が合わないとして落語立川流を設立、これにより建前上「破門」される。談志の著書によれば、その後も何度か互いの芸を貶したり、どちらが先に死ぬかなどと口論したり、取っ組み合いの喧嘩もしているそうだが、基本的には二人の間で自然と収まった。
ある新年会では、小さんの客を気に入らなかった談志が、その客に酒や膳の上のものを片っ端からぶつけて帰ったが、小さんは「客がワルイ」と談志を 庇ったという。また、喧嘩にしても小さんは「本気でやれば、俺の方がよっぽど強い」と、談志の自由に頭を締めさせていた(小さんは剣道7段、徴兵だったが 軍人経験もある)。5代目小さんの生前、孫である柳家花緑との座談では「(小さん)師匠に『(落語)協会に戻って来い』と頭を下げられたら困る。それを断ることは日本教に反する」と語り、小さんに対する意識を垣間見せた。
また、談志は小さんの妻である生代子夫人から可愛がられており、夫人が死去した際には葬儀委員長を務めた。
上方の噺家である3代目桂べかこの3代目桂南光襲名披露パーティーでは、偶然、談志と5代目小さんが南光の楽屋で鉢合わせになり、口論となった。その時楽屋にいたべかこの大師匠3代目桂米朝が、両者の口論を制止したこともある。
落語における「大名跡」の価値を評価しており、「いずれ、オレは小さんに、5代目圓楽は圓生に、志ん朝は志ん生になるべき」と『現代落語論』で書いている。そのため、本来の実力からは自身の弟弟子であった10代目柳家小三治が継ぐべきとしていた「小さん」を、先代の息子である3代目柳家三語楼が襲名したことを批判した。
この内情は落語FANの方におかれましては、皆さん百も承知でございましょうから、…今更ここで説明は取り上げませんが、…以下の談志師匠の音声がね、素晴らしく良いんですよね。
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…これね、早い話が喧嘩じゃありません。
追記…何かとこのpageをご覧になられていらっしゃる方が多くいらっしゃるようですので…関連pageも貼付ておきます。…よろしければご覧頂ければと…
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