八尾市本買取(全国対応)BooksChannel本屋物語

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[ 聴かないデジタルより聴くアナログ 本日のお薦めレコード | 2020年10月08日号 | #大滝詠一 | #大瀧詠一 特集 bookschannelshop レコード専門 細野晴臣 はっぴいえんど #松本隆

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大瀧詠一

大瀧 詠一、大滝 詠一(おおたき えいいち、本名:大瀧 榮一、1948年7月28日 - 2013年12月30日)は、日本のミュージシャン。

シンガーソングライター、作曲家、アレンジャー、音楽プロデューサー、レコードレーベルのオーナー、ラジオDJ、レコーディング・エンジニア、マスタリング・エンジニア、著述家、元Oo Records(現在は会社自体がない)取締役など、多くの顔を持つ。血液型はAB型。

娘婿は音楽プロデューサー・音楽評論家でバート・バカラック研究家の坂口修。


人物・作風

独自の音楽理論を持ち、1990年代に隆盛を誇った渋谷系のように他ミュージシャンからの引用が多いのが特徴。1950年代から1970年代にかけてのアメリカのポップス・ロック、イギリスのリバプールサウンド、日本の歌謡曲・演芸についての豊富な知識をもち、それらを駆使して制作される音楽トラックは、普通に聞こえても分析すると実は非常にマニアックであり、また、自作詞に関しては独特のおふざけが入っている。『ゴー・ゴー・ナイアガラ』時代にリスナーから「あなたには悩みというものがないのですか?」というハガキが送られてきたという。なお、作品はおおまかに分けると、メロディタイプと言われる歌もの、ノベルティタイプと言われるサウンド偏重ものの2種類に分かれる。

楽曲のマニアックさを語る一例として、ある人が大瀧に「あの曲は3つの曲からの剽窃ですね」と訊ねると彼は「その3つとあと2曲の5曲から出来てるけど、君は3曲しかわからなかったんだ」と言い返したというジョーク(山下達郎がしばしばラジオでする話)や伊藤銀次がレコーディングに参加した際、有名曲のフレーズを音符を逆にして弾くのを強要されて唖然としたという。

なお、以上の経緯から「渋谷系のように過去の作品のいいところをつまみ食いしながら楽曲を作っている」と思われがちだが、本人曰く「最終的には+αのインスピレーションがないと曲が完成しない」とのことで、『EACH TIME』のレコーディング期には既にそのインスピレーションが尽きかけていたという。

発言に関しても独特のジョークが多々入っているのが特徴。ふざけているようで真面目だったり、真面目なようでふざけている発言を淡々とするタイプの人間であり、単純に発言を文字起こししてはいけない人物だった。特に有名なのが「2001年ナイアガラの旅」に纏わるものであり、1984年に「ミュージック・ステディ」の大滝詠一特集で「1988年に『ナイアガラトライアングル Vol.3』、1989年に『ナイアガラカレンダー '89(復刻版)』、1991年にはソロでの新作『1991』でレコード番号も1991を予約。1994年には『ナイアガラトライアングル Vol.4』、2000年に『ナイアガラトライアングルVol.5』、2001年に再びソロの新作として『2001年ナイアガラの旅』を発表、以上を予定している」という発言である。この発言を真に受けて泣いたファンは数多い。1990年代までは同様の発言を繰り返していたが、大瀧本人にその気は全くなく、山下達郎等にいざ追及される側になると「予定は未定だからね」「それより君の作品はどうなの?」とはぐらかしたり、新曲と称してドラムのカウント部分だけをレコーディングしたものを放送したりしていた。

また、他者への提供曲のセルフカバーを発表することに消極的で、ラジオ番組でリスナーにあるかどうか問われても、ないと上手くその存在をうやむやにしていた。また出しても歌詞を改作したり、新たなメロディーを追加して発表する例が多かった。

当初から他者への提供曲として製作されたものに限定すれば、歌詞の改作をしなかったセルフカバーは、沢田研二の「あの娘にご用心」だけであり、セルフカバーを作った理由も「曲数が足りなかったから」と言う不本意なものだった。

それ以外ではスラップスティックの「デッキ・チェア」を歌詞を新たに松本隆に依頼して「スピーチ・バルーン」として、「海辺のジュリエット」は歌詞を新たに松本隆に依頼しただけでなく、新たにサビの部分のパートを作り「恋するカレン」としてセルフカバーされている。また、「さらばシベリア鉄道」は自身の曲としての製作中に太田裕美への提供を思いつき、それを行したもので、2015年3月29日にNHK BSプレミアムで放送された「大瀧詠一ソングブック 」で太田が、アルバム録音中にディレクターが同じ(白川隆三)だった事もあり、同時期に同じスタジオの別ブースで録音中だった大滝の元に挨拶に行った時に「太田裕美に良いじゃないかと思う曲がある」と言われて提供されたと「さらばシベリア鉄道」提供の経緯を語っている。 「Bachelor Girl」は一旦自身の録音が完成しながら歌詞の内容への疑問から発表を見送り、疑問点が解決した後に稲垣潤一への提供を行ったため、結果的に自身のバージョンがセルフカバーとして発表されたという経緯がある。

「夢で逢えたら」も生前、セルフカバーのマスターテープの存在は家族にしか明かしておらず死後、関係者がスタジオの整理をしている中で、本人がないと言っていたセルフカバーのテープが次々に発見されてCD化されている。

自身のラジオ番組で、自分の作品を特集する場合は「我田引水くんにお願いする」と言う様に別名を用いて大滝詠一として直接自分の作品を取り上げない演出をしていた。

 

ja.wikipedia.org

 
 


 

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