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三島由紀夫 と 太宰治 篇 #太宰治 #津島修治 #井伏鱒二 # #無頼派 #斜陽 #人間失格 #三島由紀夫

太宰治で続けて参りましたので、続けて…日本文学、特に三島由紀夫太宰治が好きなお客様とお話しをさせて頂く時、いつもする題材でもありますから、配置しておきます。…wikiより…私は、野原一夫さんの記憶の方が現実的で、正しかったと思います。が、三島由紀夫の記憶の言葉には「憧憬」を感じ、これはこれで良いのだと思っているワケです。…というよりは、作家はこうであってほしいものです。「やっぱり好きなんだよな。なあ、やっぱり好きなんだ

三島由紀夫 - 12歳の頃、『虚構の彷徨 ダス・ゲマイネ』を、同じ痛みを感得して読む。その後、『斜陽』は雑誌連載時から読み、川端康成宛書簡には、「『斜陽』第三回も感銘深く読みました。滅亡の抒事詩に近く、見事な芸術的完成が予見されます。しかしまだ予見されるにとどまつてをります」と記している。しかし後のエッセイでは、この作品に登場する貴族の言葉遣いが現実の貴族とかけ離れていることを指摘している。1946年12月14日、矢代静一に誘われて太宰と亀井勝一郎を囲む会合に出席した。矢代によれば「太宰が会ってくれることになった」と告げたとき、三島は目を輝かして「僕も連れてってよ」と邪気なくせがんだという。三島はこの会合で、「僕は太宰さんの文学はきらいなんです」と「ニヤニヤしながら」発言し、これに対して太宰は虚をつかれたような表情をして誰へ言うともなく「そんなことを言ったって、こうして来てるんだから、やっぱり好きなんだよな。なあ、やっぱり好きなんだ」と答えたと三島は述懐している。しかし、その場に居合わせた野原一夫(筑摩書房太宰治全集』を第六次まで担当した編集者)によれば、三島は「能面のように無表情」で発言し、太宰は三島の発言に対して「きらいなら、来なけりゃいいじゃねえか」と吐き捨てるように言って顔をそむけたという。三島はその後、しばしば太宰への嫌悪を表明し続けた。『小説家の休暇』では、「第一私はこの人の顔がきらひだ。第二にこの人の田舎者のハイカラ趣味がきらひだ。第三にこの人が、自分に適しない役を演じたのがきらひだ」「太宰のもつてゐた性格的欠陥は、少なくともその半分が、冷水摩擦や器械体操や規則的な生活で治される筈だつた」「治りたがらない病人などには本当の病人の資格がない」と記し、その他の座談会や書簡等にもその種の記述が見られる。晩年には、1968年に行われた一橋大学でのティーチ・インにて、「私は太宰とますます対照的な方向に向かっているようなわけですけど、おそらくどこか自分の根底に太宰と触れるところがあるからだろうと思う。だからこそ反撥するし、だからこそ逆の方に行くのでしょうね」と述べた。また、自決の2か月ほど前には村松剛や編集者に対して、「このごろはひとが家具を買いに行くというはなしをきいても、吐気がする」と告白し、村松が「家庭の幸福は文学の敵。それじゃあ、太宰治と同じじゃないか」と言うと、三島は「そうだよ、おれは太宰治と同じだ。同じなんだよ」と言ったとされる。


三島由紀夫 「太宰治を嫌う理由」

太宰よ! 45人の追悼文集: さよならの言葉にかえて (河出文庫)

太宰治全集 275作品合本版